Ms.Kのコスメ記録~徒然なるままに~

アラサーMs.Kによるコスメ記録

3.11のあの日の記憶

お題「今日の出来事」

 

こんにちは。

Ms.Kです。

2011年3月11日の記憶

2011年3月11日

おおきなおおきな地震がありましたね。

 

当時、私はまだ大学生で関西の実家に住んでいました。

 

地震発生の14時46分頃、

私は家でのんびり過ごしていました。

 

いつものようにツイッターを眺めたり

動画サイトを観たりしていました。

 

当時の記憶って曖昧だけど

今でも忘れられない映像があります。

 

それは、テレビをつけた途端に目に入ってきた

火の海になった町の映像。

 

本当にこれは同じ日本なのか?

一体何が起こってしまったのか?

 

なかなか理解ができず、

テレビの前でただただ涙を流すことしかできませんでした。

 

そして地震情報を集めているとかなりの広範囲で被害があったこと、

行方不明になってしまい今も安否がわからない人、

とにかくもう日本は終わってしまうのではないだろうかと

思ってしまうほどの混乱ぶりでした。

 

大切な人が被災者になってしまうということ

当時私は大学のボランティア団体で知り合った男性とお付き合いをしており、

まさに彼がちょうどその日に新潟県地域活性化のためのボランティアに参加していました。

 

慌てて彼に電話をしてみるもつながらず、

本当に怖かったのを今でも覚えています。

 

まさか自分が、災害によって大切な人を失ってしまうかもしれない状況になるなんて

これまで一度も想像もしたことがありませんでした。

 

しばらくしてからメールで連絡が取れ本当にホッとしましたが、

いつ帰ってこられるかもわからないにも関わらず、

これからボランティアセンターを通じて

できることをしてくる、と言っていました。

 

幸い、団体メンバーに怪我をした人はいませんでしたが

余震で心身ともに疲弊しきっている中

誰かのために行動している姿に感激しました。

 

でも、とても心配したのを覚えています。

 

その後の災害救援活動

当時加入していたボランティア団体では

早急に安否確認と情報収集が行われ、

今できること、しないほうがいいこと

事務局で話し合われ、

3月16日には現地にて活動を開始していました。

 

関西にいる私の元にも参加の意思確認の連絡が回ってきましたが

原発の事故による放射性物質のこともあり

家族から猛反対され、結局私は今まで一度も現地に行ったことがありません。

 

離れていてもできること

現地で少しでも力になりたい、

でも家族に心配はさせてくない、と

もどかしい気持ちでいっぱいでした。

 

でもそんな私でもできることがありました。

それは所属する団体主催の募金活動です。

 

駅前に立って大きな声で

歩いている人たちに向かって

数時間訴えかけました。

 

「がんばってね!」と言ってくれる人もいれば

目が合っても通り過ぎていくだけの人もいました。

 

「今も苦しんでいる人たちがいるのになんで無視できるんだろう?」

と悲しみや怒りがこみ上げてきました。

胸が張り裂けそうなほど辛かったのを覚えています。

 

今思うと、よくわからない若者の団体に寄付するよりは、

コンビニや振込などの他の手段のほうが安心しますよね。

 

募金活動は長期に渡って行われ、

全国の支部を集めると数百万円が集められ、

日本赤十字社を通して被災地に寄付されました。

 

自分ひとりの力は小さくて意味がないんじゃないかとも思えたけど

一人ひとりが集まるとこんなにも大きな力になるんだな、

苦しみながら行動したのには意味があったんだなと思えました。

 

大阪府北部地震

まだ記憶にも新しい2018年6月18日

関西でも地震が発生しました。

 

私が住んでいる地域も大きく揺れました。

たしか震度4だったかな?

 

余震も数日続き、

少しの揺れや物音に過敏になり

2日間ほどまともに眠れませんでした。

 

当時働いていたので、それでも出勤はしなければいけませんでした。

ガラス張りのため、少し揺れるたびに

外に飛び出ていました。

 

その日の帰りに、薬局やコンビニで

食料品や日用品などを買い込んで、

家にあるリュックをかき集めて家族分の防災リュックを作りました。

 

何かあったときのために家族全員の名前や生年月日を書いた紙と

中に入っているものを書いた紙も一緒に入れ、

家の廊下と玄関に配置。

 

枕元にはいつでも逃げられるように

スニーカーと眼鏡と懐中電灯を。

 

結局お世話になることもなく無事に終わりましたが、

地震によってこんなにも神経がすり減らされるのかと思い知らされました。

南海トラフ地震への危機感

文部省の発表によれば、

今後30年間の間に南海トラフ地震が発生する確率は70~80%。

それも最大マグニチュード9クラス。

 

私の人生に今後何事もなければ生きているうちに必ず被災することになります。

では、今から何ができるのでしょうか。

  • 避難経路及び避難所の確認
  • 非常用持ち出し袋の用意
  • 家族との連絡手段や集合場所の確認

 今すぐにできることといえばこのくらいでしょうか。

 

できれば日頃からしておきたいことは

  • お風呂の水を常に貯めておく
  • 枕元に靴と眼鏡と懐中電灯を用意
  • スマホ充電バッテリーを持ち歩く

書き出したらキリがありませんね。。。

ですが、日ごろからイメージしておくだけでも

随分と変わってくると思います!

 

最後に

あの悲しく辛い地震からもう8年も経ちました。

 

その8年の間にも熊本や北海道、大阪で地震がありました。

 

いつだれがどこで被災者になるかわからない。

怖いけど考えておかないともっと怖いことになる。

 

絶対に安心!なんてことは災害に限らずどこにいてもありえません。

 

テレビの画面から伝わる事実は

いつも他人事で、どこか本当のことのように思えず

「こんなことがあったんだ、ひどいね、悲しいね」と

よく主人と話したりします。

 

実際に同じ気持ちになれるのは

当事者になったときだけです。

 

常に危機感を持って行動することなんてとても難しいですが、

 

私は毎日主人が仕事に出るたびに

事故にあいませんようにと祈っています。

 

毎日感謝の気持ちと一緒に

「気を付けて行ってらっしゃい」

「気を付けて帰ってきてね」と必ず言うようにしています。

 

離れて暮らす家族ももっと大切にしようと思うようになりました。

それは実家を出たからこそ思えるようになったこと。

 

私には毎日を頑張って大切に生きましょう

というありきたりなことしか皆様には伝えられませんが

皆様が毎日を健やかに過ごせるよう祈っています。

 

最後になりましたが、

被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

それではまた。

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村